【おとなしかった子供時代】

【子供時代】

おとなしい性格で、妹の方が活発だった。姉妹でよくけんかをしていたが大体負けていた。

サラリーマンと専業主婦の母との間に2人姉妹の長女として生まれました。バイオリンを習っていましたが、あまり要領がよくなくなかなかうまく弾くことができず、泣きながら練習していた思い出があります。

【ボランティアを始めた高校生】

【高校時代】

高校生のとき、何か人の役に立つことをしたいと思い、老人ホームの介助ボランティア活動を開始。「ありがとう」が嬉しくて人のために何かすることの価値を実感。

【大学生・大学院生時代のボランティア】

【大学時代・大学院時代】

体育でヨットに乗った時のひとこま
卒業写真

大学生のときはホームレスの支援活動に没頭。院生時代には、司法書士事務所のインターンシップにて、多重債務者の支援業務を経験。当時法律を学んでいた私にとって「弁護士に相談すればすぐ解決するのに」と思うような問題を誰にも相談できず自分で抱え込む方々の現状を目の当たりにし、制度が整っていても「情報を得るスキルの無さ」や「心理的ハードル(恥ずかしい・情けない)」が邪魔をして支援が受けられない現実を痛感しました。

【社会人になってから】

【就職~結婚~子育て】

社会人となり13年間、企業で法律とICT(情報通信技術)関連の業務に携わり、多くのことを学びながらも、2児の母となり、働く女性がかかえる問題を日々実感してまいりました。また、重い税負担や子育て支援に対する所得制限により、働き盛りの世代の就労意欲が阻害されていると感じてきました。

目黒区は、環境に恵まれ住みやすい街のランキングでは常に上位になっています。
目黒に住まうことを誇りに「働きながら安心して子育てできる目黒」「頑張って働く人がインセンティブを得られる社会」をさらに前進させるべくチャレンジします。

【流産と介護、そしてボラ

ンティアの再開】

【流産と介護、そしてボランティアの再開】

仕事と育児の両立のストレスから流産してしまい傷心の中、父の介護も始まり、心身ともに休まらない時期を過ごす。

自分の価値を見失い、仕事へのやりがいも失いかけ、モヤモヤしていた。

このままではダメだ、とボランティア活動を再開したところ、とても大きなやりがいと充足感が得られたことで、人の役に立ち誰かの幸せや笑顔を引き出すことによって喜びややりがい、生きがいが得られるんだと自覚。

【政治の世界へ】

【政治の世界へ】

ご縁があった政治塾に入り、政界や政治について学ぶ中、現状のままだと日本はダメになってしまうと痛感。

自分も何か日本を変えることに携われたらと思い、出馬を決意。

政界とのパイプも、コネやキャリアも何も無い、


普通のワーママだからこそ持てる民間感覚や当事者感覚を武器に、子育て世帯や若者層の声を届けていきたい。

【未来ある子どもたちに負担をかけない社会を】

【未来ある子どもたちに負担をかけない社会を】

少子高齢化により、収めた税金の多くが高齢者に分配され、未来ある子どもたちに回ってこない現状により、これから先の子どもたちの負担は増加の一途を辿るのでは、と不安が募る。

未来の日本を支えていく子どもたちの将来を明るいものにし、ハード面でもソフト面でも子育てしやすい地域社会を作っていくことが大切と考える。

妊娠中の妊婦健診や出産費用の保険適用、所得制限の無い子育て支援や学費の無償化、頑張れば頑張った分だけインセンティブが受けられるような社会、これらが実現し、全ての子どもたちが平等に学び成長する機会が得られる社会を作ることを目指したい。